自転車の旅と山登りに明け暮れていた大学時代でしたが、
三年の時それまでから180度人生の方向が変わってしまう
出来事が起きました。
ある美術誌に載っていたアート集団の記事を読んで
「これだ!」と
瞬間的に思い、すぐ電話して東京まで会いにいきました。
彼らは建築家、写真家、家具デザイナー、美術作家などの集まりで
住宅建築の設計、家具のプロダクト化、アートプロジェクトの
実施など、それぞれ得意な分野を共同で企画、運営していました。
そうして建築デザインや家具デザイン、現代アートの世界へ飛び込んで
いきました。
第3インターナショナル タトリン
ファンズワース邸 ミース・ファンデル・ローエ
ロンシャン礼拝堂 コルビジェ
構成主義的な考え方を当時は勉強会を開いたりして、みんなで学び、
議論していました。ロシア革命前後の混沌とした、不満と不安だらけの
世の中で芸術家たちの才能がまるで、引火した花火工場のごとく
次々暴発していく。
「もの作り」がこんなに世の中の人々を勇気づけるとは。
とてつもないパワーがあることを知りました。
「Less is More」のミースの思想にかなり影響を受けてました。
ツリーハット 川俣正
ネガアーキテクチャー(負の建築)no.2 PHstudio
私が参加していたグループのアートプロジェクトです。もともとは、
今では日本を代表する芸術家である川俣氏のサポートチームでした。
アンブレラプロジェクト Japan-USA クリスト
壮大なプロジェクトを次々と成し遂げてしまう実行力。
地域の協力を得てしまう交渉力。
プロジェクトの資金はすべて自分の作品(ドローイングなど)を
売って稼いだお金で賄うというビジネスマインド。
芸術とビジネスを結合してしまったまれな作家です。
私もあこがれの作家です。